飛ぶ鳥の献立

珈琲と酒と本とぼんやりした何かでできている

往事渺茫としてすべて夢に似たり

写真を趣味にし始めたのは、確か14年くらい前である。

コンデジから始まり、銀塩一眼(Nikon FM3a / CONTAX ST / ALPA 10d)、銀塩中判(HASSELBLAD 500C/M / Rolleiflex Standard)、銀塩レンジファインダーNikon S2 / Leica M2 / Leica DII / CONTAX G1)、銀塩コンパクト(CONTAX T2)という遍歴を辿っており、ここ数年はほぼiPhoneでしか撮っていなかった。

(ラインナップを見ていただければお分かりのように、ツァイス沼にどろどろに浸かっていた。その後、我に返って真人間になった)

 

もう一生スマホのカメラ機能でいいかなと思っていたけれど、最近になって写真の面白さを再発見するようになり、ひさびさにちゃんとしたカメラで撮ろうと思ったのであった。

自分が自分の視座における何を感光せしめたいのかを思い出すために、数年前に撮ったやつをぽろぽろと脈絡無く上げてみる。

 

 

 

 

f:id:mochidori:20170417215021j:plain

 

 

 

 

 

 

 

 

掌に汲んだ水が零れてしまうように、過ぎ去りゆく全てのものへの無力を示し続けるために写真という表現はあるように私には思える。 

それでも撮るときはただ世界をどこまでも虚心かつ平坦に見つめることができる、その眼差しが楽しい。

また何かを写しに行こうと思う。