句読点の力
年末年始は諸事情により関東で過ごさねばならぬため、今のうちに関西で行きたいところに行っておこうと、ずっと行ってみたかった京都の山頂カフェを訪れてみた。
落ち葉の絨毯が広がる山道をゆるゆると登ると、
森の奥に目的のカフェが見えてきた。
いつもは行列待ちも珍しくないようだけど、年末のためか、並ばずにすんなり入ることができた。
窓から愛宕山の冠雪姿が臨める。
ココアチーズケーキと珈琲を頼んだ。
珈琲はお茶碗でいただくスタイル。
月のかたちをしたガラスのマドラー置きと、五山送り火の刺繍をあしらったコースターがかわいいお仕事をしている。
しばし無に浸る。
それから、人生の句読点をどこで置くべきか、それはどのような意味を持たせて置くべきか、ということについてつらつらと考えた。
句読点の力、というのは確かにあって、それは例えて言うなら、「ここまでの冒険をセーブする」ようなことであったり、地図を再度見直して舵を切り直すようなことであったり、何かと何かの間に線を引くようなことであったりする。
年末年始は殊に句読点としての存在感が大きいけれど、それだけで全てを区切れるわけでもない。
日々の句読点を大切にしていくことと、さりとて句読点ばかりにエネルギーを注がないことを、丁寧に心がけていこうと思う。
カフェのあと、下鴨神社にもお参りしてきた。
元旦には必ず参詣しているのだけど今年は行けないので、とりあえず一年の締めくくりのごあいさつに。
寒さのせいなのか、こんなにも人のいないデルタは初めて見た。
束の間のニートライフで色々な場所に行けて、良い句読点が打てた。
関東でも色々な約束や予定が待っている。楽しみである。