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東京彷徨

本日より首都入り。

在住歴は東京で10年、大阪で5年なのに、心はすっかり関西に落ち着いているせいか、そう久しぶりでもない東京なのにひどくビジター気分である。

 

あちこちのエリアでおなじみの川とスカイツリーの競演や、

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何気ない水門にも心が浮上する。

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水門は関西ではなかなか間近に見ることがないので、新鮮である。

 

ホテルにチェックインして、千葉土産でひと息。

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ぴーなっつ最中および饅頭は、千葉の誇る銘菓です。千葉に来たならこれを買わずして帰るなと私は言いたい。 あと濡れ煎餅。

 

さて、せっかく東京に来たのだから散策でもしようと考え、まだ松の内だから、と訪れたのは靖国神社

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さすがにすごい行列だったけれど、詣でて良かった。

ここに祀られた方々の魂の安らかならんことを祈った。 

そうして築かれた未来で自分が何を受け取り何を返していくべきなのかを思った。

 

参拝の後は、積み残していた課題をスタバでひっそりと進めつつ、夜は何をしようかなと考える。

本当は浅草演芸ホールに新春寄席を聞きに行こうと思っていたのだけれど、もう夜の部が開演している時刻になっていたし、きっと書き入れ時で混んでいるであろうから別の何かにしようと思い直し、やはり東京ならでは、ということで、蕎麦を手繰りに行こうと決めた。

 

上野の藪そばでとろろせいろう。

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関西は何を食べてもおいしいけれど、蕎麦だけはやはり江戸前が好みである。 

 

さらにせっかく上野に来たからと、寿湯でひとっ風呂浴びて帰ることにした。

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私の考える東京での理想の休日は、昼から銭湯に入って夕方から蕎麦屋で飲むか、

浅草で寄席を聞いてホッピー通りで飲むかである。

順番は逆になったけれど、理想に近い過ごし方ができて良かった。

寿湯で交互浴をしたらとてもすっきりして心地よい眠気が襲ってきた。

牛乳で〆て、夜風を楽しみつつホテルに帰る。

そして思う。

物心ついたころから一人遊びが好きな子どもであったけれど、その楽しさを一層深めてくれたのは、東京というあらゆるものが詰まった街であったなあ。

思えばかつての東京彷徨がとても楽しかったから、関西に行った今も同じように楽しめているのだろうな。

 

さらに思う。

転勤があるまで、ずっと東京で働いて東京で生きていくのだと、それが当たり前のことだと無意識のうちに決めつけていた。

けれど一度離れてみると、もう一度東京を選ぶのかどうかは限りなくあやふやである。(実際、今回の転職にあたって東京を選ばなかったわけであり)

 

大阪でできた友人は、屋久島へ移住してまったく異業種の仕事を始めた。

前の職場の大阪支社で働いていた同僚は、沖縄へ移住して自営業を始めた。

 

自分が住む場所に何を求めるのかはそれぞれである(そしてそれは成り行きで決まる部分も大きい)が、それをはっきり知ってしまったら、もうそこに行くしかないのだろうなと思う。

人生の優先順位が何であるかなど、その時のその人にしか知り得ないことであり、だからこそどの選択も等しく尊いと思う。

 

などと、東京砂漠の夜の片隅でビールを飲みながら思った。

 

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さて、「無職の期間は毎日ブログを更新する」と決めたのが12月19日。

大したことは書いていませんが、16日間、なんとか有言実行できました。

書いたことをどこかに毎日シェアするわけでもなくひっそりと更新していただけなのに、見に来てくださる方がどうやらいらっしゃったらしいことを心より感謝申し上げます。

ありがとうございました。

明日からはまたふつうに働く日々に戻るので、更新頻度については改めて考え直そうと思います。

 

蛇足ながら、私は高校時代くらいからずっと、自分の文章力の低さに失望し続けていました。

仕事では役割なので割り切って日々文章を書くしライターさんの原稿も鬼のようにチェックするけれど、職業的文筆を離れると途端にその失望から筆が重くなります。

そして書いたものはおおむね恥ずかしくて読み返せません。

その反面、なぜかたまに「文章力がある」とお褒めの言葉をいただくのですが、申し訳ないことにそう言われるほど、「いやこれは私の書きたい文章のレベルには程遠いので自分ではそうは到底思えません」と勝手に劣等感の陰に自分を追いやっていました。

でもこうして、中身がどれだけ薄かろうと推敲が甘かろうと、とにかく強制的にブログを書き続けたことで、書くことへの心理的なハードルを少し押し下げることができたように感じています。

 

別に文章力が上がったわけでも劣等感が雲散霧消したわけでもありませんが、「とにかく書く、書き続ける、人に見せ続ける」以外にそれと向き合う方法はないと思うので、今後もなるべく書いていきたいなと思います。

どんなことでもそうですね、きっと。

逃げないことも恥だけど役に立つ、ということで。