飛ぶ鳥の献立

珈琲と酒と本とぼんやりした何かでできている

愛情の深さが影響の輪を広げる

こんばんは。

 

新職場にて、

「うみのさんってモテそうですよね。女性らしいし色気があるし」と言われ、

え??誰のことを言ってるの???誰か違う人が見えているの????

と混乱を極めた私です。

 

 

そんな話はすこぶるどうでもよくて、今朝たいへん深く感じ入った話。

 

知り合いが先日伊勢志摩を旅して、伊勢神宮に参拝した折、内宮にて大きな声で願い事を言っている男性を見かけたそうだ。

何をお願いしてるんだろう? と耳を傾けると、

 

「○○ちゃんは受験だから志望校に合格しますように」

「○○君はお仕事がうまくいきますように」

 

と、全て他人の幸せを願う言葉だったという。

ご本人の願い事はひとつもなかったそうだ。

 

その話を聞いて、そんな美しい祈りを横で聞いてしまったら、間違いなく泣いてしまうと思った。

(伝聞でさえ、ちょっと涙腺が緩んだ)

知人も泣いたそうだ。

そして、自分が幸せになりたい、愛されたいという願望が強すぎるが故に、自分の願いを一番に考えてしまっている自分を恥じ、自分は誰かの幸せを願って何をできるだろうか? とずっと考えていると話してくれた。

  

しかし私は思うのである。

利己の手段としてではなく純粋に誰かの幸せを祈ったり誰かを幸せにするにはまず自分自身が満たされている必要があって、「愛されたい」という想いを認める、その想いに蓋をしてしまわないことが全てのスタート地点だから、何も恥じることはないと。

 

私の周りに何人かいる、多くの人に影響を与えたり尊敬されている人を見るにつけ、その人の内にある愛情の深さがそのまま、周囲に何かを与えるエネルギーとなるのではと感じている。

 

自分を正しく愛して周りからの愛も正しく受け取って初めて、「自分が自分が」の小さな箱から出られるようになるのではないだろうか。

 

ということを考えていて思い出したのが、 昨年のNHKスペシャルでやっていた宮﨑駿監督のドキュメンタリーで、個人的に一番印象に残った言葉である。

一度は引退を決めた宮﨑監督がもう一度映画作りに戻っていく、その動機を彼はこのように語っていた。

 

 

「世界は美しいって映画を作りたい」

「そういう風に世界を見たいだけなんだよ」

 

 

 

この感覚。

世界の美しさに感動し、それを誰かに伝えたいと思うこと。

人間が持てる愛情の中でこれ以上深いものを私は知らないし、これこそが創作という、多くの人に何かを渡していく仕事の中で一番純粋なところだなあと感じたのであった。

 

愛情の深い人であればあるほど、世界の美しさを見ることができる人ほど、周りに渡せるものがより大きく、深く、重いものになっていくのではないだろうかと思うのである。

 

 

…と偉そうなことを書いておきながら私はものすごく愛情の器の小さい人間で、基本的に他人にほとんど興味がないしなるべく関わりたくないし、恋愛においてもベタベタした関係がものすごく苦手である。

 

そんな程度であるから、大したものは何も差し出せていないし、誰も幸せにはできていない。

 

そんな私が唯一差し出したいと思えるものはこの拙い文章くらいであるのだけれど、自分の思ったことや感じたことをここで日々様々に書いていて、こうして言語化を続けていることを褒めてくれる優しい友人もいるけれど、実のところ自分という事象自体はどうでもよいし誰も私如き小人に関心など持つわけもないのであって、けれどそれでもつい考えてしまうのが、私がこの狭い視野の中で小さくも感じた世界の美しさについて、できるかぎり言葉の抽象度を上げることで、これを読んでくれる人がその人の中に同じものを見つけて、面白さや嬉しさを感じてくれるような何かをそこに表現できないだろうか、ということであって、それが自分の中にある唯一にして小さなエネルギーなのである。

 

(どうでもいいが私は「伝わる」なんて幻想で、コミュニケーションとは、お互いの中に同じものを見つける作業に過ぎないのだと思っている)

 

こんなにもささやかに差し出しているものに対しても、読みに来てくださったり反応を返してくださる方がいらっしゃることが、私が受け取っているいちばん大きな愛情かもしれないなとも思うのであります。

感謝しております。

 

 

件の宮﨑駿監督のNHKスペシャルは、未公開シーンを追加して1月29日に再放送予定とのことです。

 

大反響だったジブリ宮崎駿の密着番組 監督インタビュー追加で再放送 - KAI-YOU.net

 

 「こんな年寄りが、もう一回青春が来るかもしれないなんて思うのはとんでもない勘違いなんだから」と言いながら、それでも勘違いの道を選ぼうとする宮﨑監督の姿に、クリエイターというのは職業というよりも愛情に満ちた生き方そのものなんだなあと思えます。