春を心に招き入れる
「あたためる」ということのもたらす力はすごい、
ということを最近改めてしみじみ、思っている。
しばらく前のことだが、たまたまつけたテレビで「癌予防」の特集番組をやっていて、出演されていたお医者さんが、予防においてとても大切なのは「冷やさないこと」だとおっしゃっていた。
特に足下から冷えが入ってきやすいとのことで、寝るときでも靴下は絶対に履くのだそう。
それで、せっかく得た情報だからと、自宅でつい素足になってしまいそうなときでも必ず靴下を履くようにしてみた。
食事も冷たいものを摂取することが多かったのだけど、なるべくそれも控えるようにしてみた。
そうすると、不思議なことに、精神面でもなんとなく穏やかな心持ちになる。
そうなると、心を冷やすような考え方をやめて、あたたかい気持ちになるような言動を心がけようと思うようになる。
もちろん日々の生活は、陽だまりのようにあたたかなことばかりではできていないが、少しでもそういうものを多く見つけたり取り入れることを意識する。
すると、それは望まぬ出来事や思い通りにならない状況に自分を明け渡さず、心を安定させることにやがてつながっていくのだ、という因果を改めて実感するに至った。
そんなことをしばらく前に考えていたら、ふと、あの3月11日に体感したことを思い出した。
あの夜、帰るための路線が復旧しなかった社員はみな会社に泊まった。
深夜のオフィスに被災地の様子を知らせるテレビやラジオからのニュースが絶えず届き、誰も言葉を無くしたまま、それぞれ浅い眠りについた。
夜が明けて少しずつ皆が起き出し、オフィスの一隅になんとなく集まり始めたが、電車の復旧状況の確認以外に交わすべき言葉は見つからず、食べるものもあるわけではない。
そのとき私はふと、(そうだ、お茶を淹れよう)と思った。
みんなでお茶を囲んでいると、なんとなく、心に小さな灯りが点ったような気持ちになった。
その後の帰り道、桜の一本木がぽつんと満開なのが電車の窓から見えて、あたりはすっかり朝なのに、それを(常夜灯のようだ)と思った。
そのふたつの感覚は、今でも鮮明に覚えている。
しんどいときに、あたたかい飲み物や食べ物で、手やお腹をそっとあたためること。
苦しいときに、日の光に当たって、その熱をじっと感じてみること。
そんな小さなことに人は、思った以上に救われたりする。
いかに自分をあたためるか。
体を、心を、冷やさないように心がけるか。
というのは、生きていく上でかなり大切なことのように思うのである。
折もよく、暦はすでに立春。
夜長と北風でひっそりと強張っていた心身に、少しずつ長閑さを招き入れていこうと思う。