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呪いを祝福に変える力

だいぶ以前に書こうとしてやめたテーマなので、少し古いネタなのだけれど、やはり書きたいなと思ったので書いておく。

2月12日のNHKスペシャルのテーマは、「見えない“貧困” ~未来を奪われる子どもたち~」であった。

www6.nhk.or.jp

子どもを進学させるだけの経済的余裕のない家庭や、学業の傍らアルバイトをして家計を支える子どもの存在など、実態としては知られていたものの定量的に調査されることのなかった事象にようやく行政の大規模調査が入ったことを、実際にそうした家庭で暮らす子どもたちへの取材も交えながら伝える内容であった。
番組内でも使用されていた「相対的貧困」という言葉は、最近さまざまなメディアで取り上げられている。
「相対的」という点から、その定義の曖昧さや恣意性が批判されることも多いが、それが具体的にどういう現象なのかをよく表しているのが、下記のリンクの例だ。 
こうしたテーマに関して個別の話をするのは最善の考察ではないが、私は上記の例で言えば、完全にポーラの側であった。
テストで100点を何度取っても親に褒められたことはただの一度もないし、誕生日のお祝いも幼少時の朧気な記憶だけである。塾など当然通わせてもらえるはずもなく、私立への進学はそもそも選択肢に入るわけもなかったので、高校受験の際、中学の進路方針によって公立高校だけでなく私立も強制的に出願させられたのは、まったくもって迷惑でしかなかった。そもそも受かったところで、合格手続きとして入学金を払うお金すら家にはない。そこで、受験日は仮病を使って休んだ。
公立高校に入学して一番嬉しかったのは、「ああ、やっとバイトができる年齢になった。少なくとももう衣食に困らなくて済む」ということであり、入学式が終わった直後、下ろしたての制服姿で面接に行った。
高校3年になって進路を考え出す時期になった頃、父親からは就職するようにと言われ、母親からは学びながらお給料をいただけるという、それだけの理由で防衛大学校を勧められた。
しかし、自分の好きなことを学びたい、という想いはどうしても捨て去りがたく、両親から逃げるようにして地方の国立大学に進学し、授業料免除と奨学金とアルバイトでなんとか暮らしていくことができた。
大学卒業を控えた頃、卒論の指導教官に「君の研究は面白いし、視点も鋭いから、大学院に行くという選択肢もあるよ」と言われ、学術の世界で生きていきたいという気持ちも確かにあったが、日々の暮らしで精一杯だった私にはとてもそんな資金はなかった。
 
そんな学生時代の中で、周りの友人たちと「相対的に貧しい」ことを体験し続け、「貧すれば鈍する」 ということがどういうことなのかを身に染みて学んだ。
 
今思えば親は親で限られた環境の中でも自分を育ててくれたことは理解できるし、とても感謝している。親との関係も今では良好だ。
 
けれど、自分は長いことずっと、何かの手違いで生まれてきてしまった人間なのだと思っていた。
親の人生をただ圧迫するだけの、存在してはいけない人間なのだと思い込んでいた。
扶養下において貧するということは、自身の存在を疑問視し、自身の能力を抑圧することに繋がる。
それは貧困そのものより、ずっと深刻な課題だ。
いつか扶養という檻から抜け出せたとしても、その歪んだ信念からは簡単には逃げられない。
それはまるで亡霊のように自分に憑依し続けるのである。
私自身も、その亡霊に打ち勝つことに長い時間と大きな労力を費やした。
その間に本来ならできたはずのこともあっただろうし、失わなくていいものも失ったであろうと思う。
 
しかし、世界の多くは等価交換の法則で成り立っているが故に、それによって得られたものも数多くあった。私がこの記事で結論として言いたいことはそのことだ。
 
まず第一に、信念とは自分の「主」ではなく、自分の意思と経験によって変えられる「従」に過ぎないのだと知った。
(これについてきちんと説明しようとすると長くなるので、改めて別記事で書こうと思う)
 
第二に、他の人に普通に与えられているものが自分に与えられないということは、生きづらさを生む裏で、別の才能を育ててくれるということを再確認した。
私自身、友人や知人に褒めていただけることがいくつかあるがさすがに恥ずかしくて書けないので、最近経験したことからひとつ例を引く。
 
少し前の記事で、とあるボランティア活動に参加していると書いたが、その活動の場は主に学校である。
そこで出会う子たちの多くは、家庭に事情を抱えていたり、心に傷を負っていたり、何かの生きづらさを感じている子達だ。
そして、本来なら屈託無く育つはずであった時期に、親の気持ちを察することや自分の存在を疑問視することを避けて通れなかったからこそ、周囲の人々の気持ちが人一倍よく見えてしまう子達でもある。
 
ある日の授業中、辛い出来事があったばかりでかなり気落ちしており、授業内容に集中できていない子がいた。
別のボランティアスタッフが少し離れたところで話を聞いていたのだが、何人かのクラスメイトはそれを心配そうに見守っていた。
その中で、とある子(この子も複雑な家庭事情を背負っている)がぼそりとこう言った。
「顔が生きてるから大丈夫」
 
顔が生きてる。
こんな表現を何の気負いも衒学性もなく、さらりと言えることの尊さ。
これこそ、彼女が見てきた世界においてしか生らない果実だと私は思ったし、
「すごくいい言葉を使うね」
「その感性は才能だと思う」
と伝えずにはいられなかった。
 
 
似た者同士というわけではないが昔から私が親しくなる友人には、何かしらの家庭的事情を負っている子が多くいたのだけれど、彼女達の誰を思い返してもそれぞれに特別な才能や魅力があった。
例えば人に寄り添える優しさや、驕らない謙虚さ、「普通」を定義しない賢さ、場を和ませるユーモアセンス、多くの人が気づかないようなところにも目を向けられる繊細な感受性などの。
 
なかには天性のものもあったであろうし、家庭的事情を負う人でなければそれを持てないという意味でもない。
しかし、生きづらさはそれと同時に人に特別な何かを与えることだけは間違いのないところだと私は思っている。
 
書いていて、もうひとつ思い出したことがある。
小学生の頃、従姉妹が購読していた漫画雑誌をよく読ませてもらっていたのだが、その連載の中でも特に気に入って読んでいたのが、榛野なな恵の「Papa told me」という漫画だ。
父子家庭で暮らす主人公を中心に、いろいろな生きづらさや傷を抱えて生きる人たちがそれぞれの納得の行く生き方を選ぶ姿を優しく描く漫画で、生きづらさの塊だった私にとっては癒しの物語であった。
ストーリー中には主人公の友達で、両親の離婚を経験した子が出てくるのだが、ある回の中で、両親の離婚に当たって感じたことを主人公に語る場面がある。
離婚に至るまでの両親の諍いを見続けた結果、周りの大人達の気持ちが急によく見えるようになったと言い、その内面の変化を
 
「いきなり視力が良くなったみたい」
 
と表現していて、その台詞はずっと頭の中に残っている。
 
否応無しにいきなり視力が良くなってしまったような感覚は、きっと生まれながらに何かを負わされた人の多くに覚えがあるだろう。
 
それはもしかしたら、呪いが相転移して祝福に変わる瞬間なのかもしれない、と私は思っているし、それを変えるのは、自分でそう願うこと以外にはないのだと感じている。
 
そして、呪いが強ければ強いほど、祝福もまた大きいはずなのだ。