飛ぶ鳥の献立

珈琲と酒と本とぼんやりした何かでできている

有限と勇気

この記事を読んで、美しい文章だなあと感銘を受けた。 

 

haiku-new-space03.blogspot.jp

 

詩や句や歌を詠む人の書く文章が私はとても好きなのだけれど、

そのなかでもこの記事の、特に後段は輝きに溢れているなあ、と思った。

 

なんでもそうだが、はじまったら・おわる。どんなに緊張した場でも、吐き気がして卒倒しそうな場でも、とにかく、はじまったら・おわる。 

(中略)

要は、〈はじめられるか・どうか〉なのだ。〈そこに・そのとき・ちゃんといられるかどうか〉だ。 

 

この、「はじまりとおわり」の関係。

おわりがあるからこそ、はじまりがあるのだということ。

そこにこそ、私たちの営為の本質があるのかもしれないと思う。

 

やりたいことを心に描いた時、 私はいつも、

「どんなふうに終わりたいか」を自分に問いかける。

おわりを見つめることで、はじまりと向き合えるように思うからだ。

 

やりたくないことをやらなくてはならない時、私はいつも、

「やればわる」と呪文のように唱えながら手をつける。

はじめない限り、そこからは逃げられないとわかっているからだ。

 

どれほど魂が輝くようなことでも、どれだけ五臓六腑が冷えるようなことでも、

生きていることそのものまでも、

はじまったら必ず、おわる。

 

はじまりの地点に、きちんと立つ。

簡単なようでとても難しいことだと思う。

けれど己の意思と存在を以って「はじまりとおわり」を引き受ける時、

いつもよりも、少し深い世界に降りていけるような気がする。

それこそが、はじまりに立つ勇気の源泉なのかもしれないと思う。