飛ぶ鳥の献立

珈琲と酒と本とぼんやりした何かでできている

器と鏡

自分の周りの5人の平均が自分自身だ、とはよく言われるけれど、良くも悪くも、当人の器に合った人が周りに集まる、ということは改めて最近考えていて、そんなことを友人達とも話している。

 

なのでどうしたって、自分の器に合わない人は自分の周りには集まらないし偶さか出会えたとしてもいずれは縁遠くなるし、逆も然り、なのだと思う。

 

然ればこそ、周りの人間や去っていく人間に対して何か思うところがあるのであれば、何よりもまず自分を省みるべきなのだと考える。

自分の器が自分の思う通りにあって(或いはそうでありたいという意思と行動を持って)、周りとの信頼関係を諦めない限りは、自ずから自分にとって必要な人と縁を結べるようになっているはずなのだ。

 

私の身近に居てくれる友人達はその人格と目的と行動が美しい人ばかりで、思わず引け目を感じてしまうことが多々ある。

が、それは自分という存在の照射であると、引け目と同等くらいには自負して良いと最近になってようやく思えるようになった。

尊敬できる彼等彼女等の器の証明でありたいからこそ、自分を自分の勝手な思い込みで小さな枠に押し込んではならないのだと思う。

 

自責思考気味で己の全てに懐疑的な私のその信念が行き過ぎないよう、鏡となって照らしてくれる大切な友人たちに深謝する頃来である。

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