秋雨に停泊する
おひさしぶりです。
生きております。
9月に東京に異動してからの約1ヶ月半、公私ともに激動でありました。
仕事量が何倍かに膨れあがり、思いもよらないことが起こり、自分の持ちうる僅かなリソースのすべてを「目の前を生きる」ことに費やしておりました。こんなことは本当に久しぶりでした。
ようやく一息つけるようになったので、ひさびさに文章を残しておきたいななどと思った次第です。
新しい部屋にも少しずつ慣れてきた。
これは新しくお迎えした食虫植物さん。
「東京で働いている」という事実はまだ自分のあらゆる面において馴染んでいないけれど、川の眺めは相変わらず美しいと思い、その時だけは地に足がついている。
関西への郷愁未だ捨て去りがたく。
大阪出張のついでに友人と参った京都の穴場なお寺。
まったくもって、人の感情は人の感情によってのみ動かされるのであるな、などと雲間の中秋を見上げながら思う。
人の優しさが一番良く出るところは「相手との距離感」なのではないかと考えていた深夜の銀座。
雨に覆い隠された秋に引き留められる。
多くの事象に対面したり人との距離が近くなると、自分の輪郭をつい忘れてしまいそうになる。
自分の輪郭を思い出すことは、孤独に帰る作業と同義である。
それは自分にとってはこうして文章を書いたり写真を撮ったりすることであり、それによって自分は拠り所と寄る辺無さの両方を取り戻せるのだ。
そのことをしばらく忘れていた。
「汝の立つところ深く掘れ、そこに必ず泉あり」。
私の好きな言葉のひとつだ。
目の前で何が起ころうと、自分にとって本当に重要なことは足下に必ずあるということを信じて、冬にうつろってゆきたい。