飛ぶ鳥の献立

珈琲と酒と本とぼんやりした何かでできている

夢と魔法の国の海の帰りに思うこと

 

東京滞在の休日最後は、ディズニーシーに行ってきた。

私も友人も、アトラクションより建造物のディテールを見るほうが楽しいので、写真を撮っているときが一番充実していた。

 

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いつか人里離れたところにこんなロマン溢れる庵を結んで、ほとんど誰にも会わず、ただ本に囲まれて暮らしたい。

 

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全然関係ないけどディズニーシーのホットココアはものすごくおいしい。

 

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寒さとホットワインの相乗効果である眠気との闘いであった。

 

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人が写真を撮らないところでばしばし撮ってるものだから、通りすがりの幼い女の子に「ここは何があるの?」と聞かれ、「特に何もない」以外に答えがなかったのでただ微笑むしかできなかった。 ごめんよ。

 

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昔から、どんな悪天候でも、「晴れてくれないかな~」って思ってるとたいてい晴れてくれる。

最速記録は、仕事のロケで大雨だった時、念じたら10分くらいで一気に晴れたこと。

「うみのさんは呪術師かなんかなんですか?」とカメラマンさんに聞かれた。

 

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夕方には堪能し終えてしまったので早めに辞し、カラオケをはしごして帰ってきた。

楽しかった。

 

帰り道に天高い月を眺めながらつらつらと色々なことを考えた。

 

「人は自分にとって都合の良いように世界を見ようとする」を常に自分に対して疑っていく事が知性であり優しさであると私は思うな、とか。

 

自分の能力やコントロールの及ばぬところであっても、倫理と哲学と愛情くらいは持ち続けていたいものだ、とか。

 

 自分を小さい箱に追い込んで勝手に自身の価値を矮小化したり毀損してはならない、それは一時はなにかの処方箋になるかもしれないけれどその箱がいつかルサンチマン製造機となっていつか誰かに刃を向けるものになる可能性があるからであって、人はちゃんと自分のためにも、そして周りのためにも、自分の価値を認めるべきであるな、とか。

 

他人の気持ちの本当のところなんてどうしたってわからないのであって、自分が何を信じたいのか、自分がどうありたい、或いはどうあるべきと思うのか、の権限と責任のなかで納得するしかないのであるな、とか。

 

夢と魔法の国に行って変な方向に内省が進むのは多分非日常性の齎す客観によるものであろう。

このへんはもう少し掘り下げて考えて言葉にしてみようと思うのだけれど、ここ数日のあれこれでエネルギーを使い果たして充電不足なのでもう寝ます。