飛ぶ鳥の献立

珈琲と酒と本とぼんやりした何かでできている

無駄と豊かさ

ふと思ったこと。

 

私は、前提を共有しない議論は全て不毛だと思っているのだけれど、とりわけ

「相手の反応は、自分の行動の結果である」

この前提が共有できない相手とは、議論であろうとそれ以外のコミュニケーションであろうと、どうしたってどこかで明らかな断絶に行き当たるな・・・と改めて思う。

こういうことはやはり、経験を通してしか本当には学べないのだな、とも思う。

そして様々にある経験の中でも、対人コンフリクトを通してしか学べないこともある。

しなくても良い経験かもしれないけれど、一見無駄に思えるようなものにこそ、生きることの豊かさと面白さがあったりもする。

多分。

 

ああ、冬の動物園に行きたい。

鳥とか象とかをぼんやり見ていたい。

 

寄席に行くのもいい。

楽しい噺を無心に聞いていたい。

仕事が一段落したら、行こう。

 

f:id:mochidori:20180109235453j:image