無駄と豊かさ
ふと思ったこと。
私は、前提を共有しない議論は全て不毛だと思っているのだけれど、とりわけ
「相手の反応は、自分の行動の結果である」
この前提が共有できない相手とは、議論であろうとそれ以外のコミュニケーションであろうと、どうしたってどこかで明らかな断絶に行き当たるな・・・と改めて思う。
こういうことはやはり、経験を通してしか本当には学べないのだな、とも思う。
そして様々にある経験の中でも、対人コンフリクトを通してしか学べないこともある。
しなくても良い経験かもしれないけれど、一見無駄に思えるようなものにこそ、生きることの豊かさと面白さがあったりもする。
多分。
ああ、冬の動物園に行きたい。
鳥とか象とかをぼんやり見ていたい。
寄席に行くのもいい。
楽しい噺を無心に聞いていたい。
仕事が一段落したら、行こう。