偶然藤狩必然飲酒
気づけば立夏。
紫陽花がお花屋さんに並ぶ季節。
そんな連休最終日の正午、このまま自宅でゲル状の何かと化して終わる己が鮮やかにイメージできたので、散歩でもしようと外に出たら、いつの間にか奈良に着いていたのである。
超気怠いご近所ファッションのまま来てしまったが、大仏様の慈愛に満ちた「ええんやで」的ご尊顔に救済を得た。
奈良公園には、新橋駅SL広場における鳩くらいのカジュアルさで鹿がたむろしている。
これほどまでに密集していれば鹿間の派閥や抗争も色々あるだろう。奈良イーストゲートパーク(NEGP)だ。
ジャケ写感溢れる一枚が撮れた。
New Album「人の金で鹿せんべいが食べたい」
せっかく奈良まで来たので、春日大社にも参詣。
境内にも鹿。
奥に進もうと思って話しかけたら戦闘が始まるタイプのやつ。
軽はずみに話しかける前にセーブしとけばよかったと思う。
境内にある「萬葉植物園」は今ちょうど藤が盛りとのことで、これもまたせっかくなので立ち寄った。
ここが大変素晴らしかった。
万葉集に詠まれている植物が300種以上も植えられており、どこを見渡しても美しい。
新緑蓁々として初夏の匂いに満ちていた。
どの緑にもそれぞれの居場所があって、どの子もそれをわかっている感じがあった。
ここの藤は20種類200本もの絢爛さを誇る。
涼やかで甘い香り。
"藤波の咲く春の野に延ふ葛の下よし恋ひば久しくもあらむ"
ここの藤はよくある棚仕立てのものだけではなく、立ち木造りで植えられているものも多くあり、花に包まれるような散策路である。
藤の花言葉ってなんだっけと思って調べたら、古来から女性の例えとして用いられてきた花であるためか、思いの外情熱的であった。
情熱は今の私に一番足りない要素である。
ちなみに一番足りているのは軟弱である。 メルカリで大量出品できるほどある。
大根の花がインフレしてた。
園内の設計は細部に工夫と愛情が見られ、四季を通じて訪れたくなった。
万葉集に詠まれた草花の解説コーナーがあり、これもまた素敵な工夫。
これほどにたくさんの草花が出てくるのかと思うほどで、見ていて飽きない。
その中でも、身も蓋もないネーミングのこれが最高だった。
高宮王もなぜ宮仕の例えに使ったのか。
まあ、どんなものにも美を見出す心は尊ぶべきである。
歌人たりえずとも、ささやかなものに光を当て続ける人生でありたい。
奈良公園の中でも飛火野のあたりがとりわけ好き。
サイクリング中の人たちがお昼寝しているのが遠くに見えた。
今度はお弁当とビール持って来て、寝転がりながらのんびり読書でもしたい。
ならまち界隈を通り抜けて帰路に就く。
この和菓子屋さんの佇まいが好き。
落日前に電車に乗ろうと思ったが、私好みの酒場があったのでつい。
本をゆるゆる読み進めつつ終わりゆく休息を惜しみつつの酒の味に、大人になってもこの物悲しさは夏休み最後の日のそれと然程変わっていないなあ、と思う。
空もかすみの夕照りに名残惜しみて帰る雁金。
良い連休でありました。