飛ぶ鳥の献立

珈琲と酒と本とぼんやりした何かでできている

回復の泉

一昨日の良い増田。

 

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誰の心の中にもおそらく自分だけの回復の泉があって、その泉で人が孤独に癒される時間を美しいと思う。

どうでも良いが自分の場合は、寝ること、自然に触れること、本を読むこと、この3つである。

夢、自然、物語全てイマジネーションへの扉であり、イマジネーションこそが生きていくための資源だと思うのである。

 

先日、とある場所で知り合った大学生の子に「学生のうちにやっておくべきことって何かありますか?」と聞かれ、「読書の習慣かなあ。頭の中の世界を広げ続けられるかどうかが、生涯の成長度に大きく寄与すると思う」という趣旨のことをそのときは答えたのだけれど、「何が起ころうとも、これさえあれば自分自身に立ち帰ることができるし、生きていける」というものを見つけておくことの方が大切かもしれないなあ、と思う。

 

生きる力を失ってしまったとき、思いもよらない方向から引き上げられたりすることも稀にある。

 

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列になって消えていくブロックや使われなかったヌンチャクは、死と再生の神であり、英雄の旅の霊薬だ。

それらは人が生きていこうと思う限り、付いてきてくれるのだと思う。

時に魔法のような不思議に満ちた形で。

時に見落としてしまいそうなほどささやかな形で。

人生が続く限り、そういうものに目を凝らして生きていきたいと思う。

 

そして、テトリスであれ謎のおっさんであれ、「無条件で受け止めてもらえる」以上の癒しはないのだと改めて思う。

暗闇の中にただ一緒にいてくれたり、ただ静かに話を聞いてくれる存在。

教えを説くでも励ますのでもなく、ただ、傷口から溢れる悲しみや怒りや不安を空っぽになるまで吐き出させてくれる存在。

全てを吐き出すと、不思議なことだがそのぽっかりと空いた場所に、やがて悲しみでも怒りでも不安でもない新しい何かがやってくる。

それには時間がかかるかもしれないし、それでも傷跡は残るかもしれないが。

ぜったいに、新しい何かがその空虚を埋めてくれる。

大きな再生を経験したり、いろいろな再生の物語を聞いてきた私の、これはもう確信に近い祈りなのである。

 

死と再生の最初の一歩、無条件で受け止めてもらうこと。

かつて自分もそういう人に救われてきたし、誰かにとってのそういう人でありたいと思う。