関係性が人間性をつくる
こんばんは。
先日、冬服でも買おうとひさびさにオサレブランドショップに入って、このワンピースかわいいな、と手に取った瞬間に店員さんが「かわいいですよねそれ! クリスマスとか年末年始とかのイベントにもぴったりですし…」と話しかけてくださったが、クリスマスも年末年始もNO EVENT NO ENGAGEMENTであったので、最高の笑顔で「そうですね」と言いながらそっと戻した私です。
そんなわけで暇なので、SNSで自分も含めて色々な人のやり取りを見ていると、しばしば思うことがある。
他者とのコミュニケーションにおいては、「何」を言うのか、にフォーカスが当たりがちであるが、必ずしもそれが全てにおいて優先するわけではないな、ということを。
文脈なんてものはかぎりなく相対的なものであるから、
相手との関係性という意味も含んで「誰」が言うかに左右もされるし、
さらに、「どう」言うかということによっても受け取り方は全く変わる。
オンラインの簡便さの恩恵に与れば与るほどに、自身の本意や相手との関係性に照らして、それは最適な方法での最適な伝え方なのだろうか、ということへの懐疑性はどうしても低くなりがちな傾向があるように思う。
こんなことを書きながら私自身も、「ああ言葉の選び方を間違った」とか「これはこのタイミングで言うべきことではなかった」とか「コメントの流れからしてこれは書かなくても良かった」とか、その手の後悔がよくある。数多ある。後悔の床転がり運動から過去の自分へのローリングソバットへ鮮やかなコンボを繋げたくなるほどある。
そのように、対話することの難しさの前では、
「自身が日々どのようなコミュニケーションを取っているかの成果が、自身の人間性そのものである」
ということをいつも思わされる。
どんな言葉を選ぶか。どのように伝えるか。そしてそれは何のために伝えるのか。
他者との関係性を築くこれらの態度が、すべて自分の人間性を形作って行くのだと思う。
来年はもっと熟慮の上によい対話、後悔のない言葉を重ねていきたい。
オサレカフェでマキアートとジンジャークッキーを楽しみながら颯爽とPCを広げているけど書いているのはこんな記事と冬コミ原稿。