春を連れてくる雨を眺めながら魂の調律をする
まるで弧を描く星のように、頭の中にひらめくことはたくさんあったのだけれど、忙しさに取り紛れて消えてしまったものたちを切なく思って久しぶりに更新します。
まあ、大切なひらめきであれば、またそのうち帰ってきてくれるであろう。
なにが大変だったかというと、人との近すぎる距離や高すぎる関わり頻度は私にはどうにもやっぱり重いということであり、そういうことが続くと、魂の調律がどうしても必要になる。
そんな時、いつもこう思うのである。
周りからどう思われようとどう期待されようとされなかろうと自分は自分の望むように生きることしか考えていないし、周りもそうであってほしいしそうあれるように自分ができることしかできないのである。すまんな。と。
人もまた自然の産物の一部であり、雨が海に帰るように、山野草が野に在るように、自分が楽しくくつろいでいられる場所がどこなのか、ということにごまかしは効かないことを受け入れる。
それは個人の尊厳ともっとも近い場所にある、魂の友達のようなものだ。
この考え方は、調律工具のように私をあるべき場所に置きなおしてくれる大切なものだ。
日が少しずつ長くなり、いろんなものが移り変わり、新たな場所に向かって動き出す時節。
自分にとっての調律工具がなんであるのか。
そんなことを考える時間もまた素敵だと私は思うのであります。