疑を以って人に利する
台風が向かってきている。
気圧が低いと頭痛に襲われやる気は地盤沈下し、仕事の進みが非常によくない。
そんなわけで色々なことを考える。決してサボっているわけではない。
先逹てから考えていたのは人徳というものについてである。
人徳があると言われる人とそうでない人を分かつものはなんであるのかについて考えていた。
色々とあろうが、例えばそれは、
一つは人の心にどれだけのものを与えうるのかであるし、
一つは人の心をどれだけ己のもののように尊重できるかであるし、
一つは人の心が自分と同じくらい複雑なものであると知っているかであろう。
人の心に聡く誠実であるということは、取りも直さず、己の心を捉えることができているかということである。
自分の心のありようが、どのような欲求や感情や経験によって形成され支配されているのかを理解することで初めて、人の心のありようを考えられるのだと考える。
自分自身を含め誰もがその本質は利己的存在であることを受け入れねば真の利他には到達できないのであろう。
己を正しく疑うことのできる人こそが、他から信じられる人であり、それが人徳と呼ばれるものなのだという気がしている。
ところで、世の中には、能力によって尊敬される人と、人間によって尊敬される人がいる。
いかに前者で人を魅了し集わせようとも、人を真の意味で定着させうるのは後者であるのだが、両者を並び立たせる人は希少である。
能力を尖らせれば尖らせるほど、他者の心に疎くなる向きがあるのは人間の面白いところだと思う。
それでも人を惹きつけ続けることができるとなれば、それはもうその才能が唯一無二の本物ということなのだと思う。
本物でもない自分はせめて、心くらいは大事にしたい。