飛ぶ鳥の献立

珈琲と酒と本とぼんやりした何かでできている

完璧主義の処方箋

母の家、滞在2日目。

秘境のような山奥なので、360度こんな景色です。

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繰り返しますが、360度です。

コンビニなどありません。携帯も圏外です。今まで日本全国津々浦々の離島を数多く旅してきても見ることのなかった圏外です。

ネット廃人の更生施設として最適ではないかと思います。おすすめ。

ではなぜブログを更新できているかと言うと、はてなサーバ心の声で呼びかけたわけではなく、昨晩は命綱こと有線LANケーブルを借りて、今日は兄ことWi-Fiが来たので、なんとかなっています。

姪っ子に5年会ってない間に大きくなっててびっくりした。最後に会ったのが2歳のときだったので、姪っ子も当然覚えておらず、「パパに妹がいたの?!」ってびっくりしていた。ごめんね、桁外れに放任主義及び個人主義の家風のもとで育てられたのが、君の父と叔母なんだよ。君も自由に生きるのだよ。

 

精米の手伝いをさせられる。

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私の中で田舎の定義とは、コイン精米所コンビニ感覚で存在することである。

大学に進学して引っ越し、街中にコイン精米所がないことにどれだけカルチャーショックを受けたことか。

 

そんなわけで何も見るものがないので、禅寺で座禅を組むような心持で、さっきまで昼寝したり本を読んだり夕寝をしたりしていました。やってることが普段と変わらない気がしますが、気のせいでしょう。

そんななかで友人がSNSにて一年の振り返りの記事を上げていて、それがすごく良かったので、私も改めて一年の振り返りをしようと思った次第です。

 

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2016年の表のテーマは、「ひとりではなくなっていく」であったと、以前の記事に書いた。

 

mochidori.hatenablog.com

 

(それ以外にも、祖母の死、家族との別れ、幼少期からのトラウマに向き合っての治療、引っ越し、転職、初めてまともに創作活動を始めるなど、さらにここには書けないような大きな事件があったりと、本当に色々なことがあったけれど)

 

最近になって、もうひとつ、裏のテーマがあったことに気が付いた。

自分はずっと、適当で大雑把で細かいことは気にしない人間であると思っていたけれど、その反面、潔癖症で完璧主義であるということを最近になってようやくはっきりと自覚し、その克服に向けて進みだしたことである。

 

いつからか、完成形や目指すべきレベルを頭の中であらかじめ決めてしまい、そこから外れると激しく自己否定や自己嫌悪に陥る癖があったのだが、しかしそれ以上に「私は適当な人間である」という強い自己暗示があり、さらにはもともと自己肯定感がほとんど無く、自己否定や嫌悪とは深い仲のお友達であったので、時々それが大波のようにやってくる理由を理解できていなかったのだと思う。

 

しかし今年になって、全ての人が本来持ち得るべき自己肯定感を正しく構築する努力をした結果、それが完璧主義の反動であるということに気づいたのであった。

 

いったん理解してみると、それによって享受できていることもあるけれど、もう少し張力を緩めても良いのではないか、と自分を客観視できるようになった。

 

これにはトラウマを克服するために受けたカウンセリングでのワークがとても役に立った。

 

 私の受けていたカウンセリングは、医薬品の処方でもスピリチュアルな魔法の杖でもなんでもなく、自分自身の心の慣性や機制を自分の頭で自覚し心で受け入れ、本当に変わりたいと覚悟を決めたぶんだけしか変われないような類のものである。

(この先生に出会えたことが本当に大きかったのだけれど、ここでは詳細は割愛する。)

 

人は本質的にはうつろうものでありながら、望んで変わる事には覚悟が要る。

それは、不満を言いながらも、従来の状態に居続けることで享受できているものを捨てられないからであったり、

従来の状態から抜け出そうとすることに伴うリスクが怖いからであったり、

自分なんかが新しいところに行く資格はない、自分なんかにできるわけがない、という自己否定が働くからである。

 

けれど、自覚することと、本当に変わりたいと覚悟を決めること。

これさえあれば、誰だって本当はどこにでも行けるのだと思う。

 

私はそれをすでに知っているので、完璧主義と向き合うことはそれほど苦しくはなかった。 

むしろそれらは因果関係で、自分が正しくあらねば、きちんとやり遂げねば、一定のレベル以上で成果を出さなければ、自分は存在してはいけないのだという間違った信念で結ばれているものであったと思う。

 

しかし、あるべき自己肯定感を手に入れることによって、

あるいは、完璧ではなくても、「人は常に現在可能な最善を尽くしている」「どんな行動の背景にも『肯定的な意図』がある」という原則に立つことで、

自分の行動を結果のみではなく、加点方式でプロセス評価をつけられるようになった。

 

これは本当に自分の在り方を楽にしてくれた。

楽になれば、余裕が生まれる。

余裕が生まれれば、よりバランスの良い自分でいられる。

そういうプラスの因果関係を学び得ることができたのは、今年の大きな収穫であったと思う。

 

来年は、より楽な自分で、より楽しくやっていきたいと思います。

 

 

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旅行にもたくさん行って楽しみたい。